人はうまく言っている時

みなさん。

こんにちは。

 

人は、うまくいっているとき、
気づいてなくとも、色々なことを疎かにします。

 

うまくいっているから、敢えて考えない。

 

うまくいっているから、うまくいかなかったときを考えない。

 

うまくいっているから、今に慣れる。

 

うまくいっているから、感謝を忘れる。

 

 


そして
うまくいかなくなったときにこう思います。

 


「なんで?!」
「どうしよう!?」
「どうしてこうなった!?」

 


ナポレオンはこんな言葉を残しています。

「おまえがいつの日か出会う災いは、
 お前が疎かにした時間の報いだ。」

 

 

 

そうなったには、
そうなった原因があるでしょうし、
"
未然"の対応なら、もっとなんとかなったりするものです。

 

 


自分にその責任があるのならば、
引き受けて対応するだけですよね。

 

 

 

しかし多くの人は、引き受けて対応せずまず自分を憐れんでいる。そんな状況に心当たりありませんか。

 


そうです。それは自分を可哀想だと思っている状況です。

 

 

自分で自分をあえて可哀想な状況にしている。

「私ってかわいそう。」

自己憐憫といいます。

 

 

これは責任逃れですよね。

楽なんですね。

 

 

すべてに対峙していない。

 

 

逃げているだけ。

 

 

逃げる自己憐憫。

そして「悩み」というものは、
現実に対して抵抗している感情です。

 


これは現実を受け入れていないのです。

 

なぜなら受け入れたなら、
建設的に対応するだけのことだからです。

 

 

 

人は楽な逃避と抵抗に走りがちです。

負の連鎖に陥っている人は、

ある種の言葉に飛びついてしまいます。
それは

 


自分に甘い言葉です。


うまくいかないとき、

自分を不幸だと思うのはよそう。

 

 

うまくいかないときでも

あなたが不幸だと思わない限り、あなたは不幸にはなりません。

 

 

 

まずは現実をありのままに受け入れよう。

 

 

努力はいつかむくわれるのです。

 

 

うまくいかない時も、あきらめないで前向きに努力することが大事なのです。

 

自分が愛する人を幸せにすることを考えよう。

 

 

どんな時も

現実は、とにかく無条件にそのまま受け入れよう。

 

 

現実に起きてしまった事実は変えられないのです。

 

 

しかし、そのことに関する自分の考え方は変えられるのです。

 

つまり、不幸な出来事があっても、それを不幸だと思わない。

 

むしろ、幸せなことだと思うことができるようになるのです。

 

 

 

現実を受け入れることが、不幸を幸せに変える第一歩です。

 

 

はじめの一歩。